讃岐富士に登った翌日、午後から少し時間があったので、いつものように京阪で京都散策に向かいたい。
とはいえ、出発時点で13時は回っているのであまり奥まったところへは行けずと。さらに全線乗車券の補充も忘れており、まま、京都市内まで行く必然性は薄いので手前で済まそうと。
地図を辿っていくと、石清水八幡宮に行き当たる。
仁和寺のある法師、の件で間違えて麓だけみて満足し帰っちゃたところ。
こんなに仁和寺から離れていたとは。北野天満宮ぐらいの位置にあると思いきや、いまでもだいぶ時間かかるし、当時としては結構な旅行じゃないかって。
その麓には「飛行神社」なる文字もみえる。
年明け、羽田神社に参拝したのに続いて、旅の安全を祈りすぎることはない。
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かなりのスロースタートで、樟葉での乗り継ぎ経て八幡市駅に到着したのが15時頃、神社関係は17時待たずに16時半とかで店じまいしがちなので、ほどよくのんびり、ぐらいで行かないと、じっくりの余裕はない。
駅前から本殿の高さまで、ケーブルカーもあるけどそんなものに頼る齢ではないので、ロータリー裏手すぐにみえた一ノ鳥居を潜って登り始める。
麓の摂社がならび、確かにこのあたりでも普通の神社並みには設備が整っている。ただ、目的地はここではないので、御由緒に目を通す程度にして登り階段を探す。これが意外とはっきりしておらず、ちょっと急な階段・・・のほうはショートカットルートで、ただ川に沿ってのびたような道の先が、表玄関の参道らしい。二ノ鳥居を頼りに、坂へと進む。
道のりは、ハイキングというほどではなく、ただ、やっぱり坂道ではあって前日の金比羅さんよりちょっと緩いくらい。階段と平坦を繰り返す。
あまり風が通らなさそうなので、夏の暑い盛りは辛いかも。その手前の新緑は美しいだろうな。
途中の茶屋、営業してなかった(季節の問題?)けど、お品書きに筍あり。
境内に「エジソン記念碑」なんてのもあり、ようやく検索かけて電灯のフィラメントになった竹がここから伐りだされたことを知る。
いまでこそ、この丘以外は住宅地に囲まれているが、かつては京都のだいぶ街外れの門前町でたしかに筍とか山菜の供給地となってておかしくない。
20分ほど登って、本殿のある高さまで到達する。
このあたりの建物は、最近の事務所的なもの以外はほぼ国宝か重要文化財っていう、京都の他の神社とよりもさらに一段上の格にあり・・・
とはいえ、人通りも多くてしっかり補修・保全されているので古さは感じず、色あせることもない(秋に行った奈良の山奥は国宝とはいえなかなかに手つかず感もってしまっていたが・・・)
国宝の本社にたいして、参道は斜めにささっていく独特な感じ。ただ、この日は神事の準備で、中央に舞台が組まれていて、回り込み、いや実質正面からに近い形で参拝に向かうようになっていた。
祀られているのは宇佐神宮からの八幡さまや宗像大社と同様の「海の女神」グループで、やはり九州は遠くての京の近くに来ていただいた、という感じなのかなと。
帰り道、エジソン記念碑にも立ち寄る。裏側はしっかり竹林になってて、さらに柵があってあまり近くまでは行けず(2月にやるという、生誕祭のときは開けてやるのかな)
登って降りて、1時間半ぐらい。丘の上からの京都展望も楽しみつつじっくり見てこの時間、ということは既に16時半と日が傾きつつあるわけですが。
ちょっと滑り込みで、住宅地の中にたつ飛行神社へ立ち寄り。
こちらは、本庁とか國學院的な流れとは別の、新興宗教のようなもの。とはいえ、二宮忠八が設立した、しっかり筋は通っている神社
鳥居がジュラルミン、引き揚げた零戦エンジン、飛魚のステンドグラスと、がっつり世界観は構成されている。飛魚のちょっと儚さを感じる意匠が、ここは犠牲者を祀る場所だと気づかせてくれる。
店じまい始めそうな神主さんに、御朱印を頂いて足早に駅へ戻る。
たぶん初めて、京阪をいくつか撮り鉄。通過列車が多いので。