岩手から旅日記・大阪編

週末、東北をあちらこちら。→17年春から大阪へ。さらに名古屋

6/2 女人禁制とは何か?現地現物、山上ヶ岳へ(その1)

夏、登山へ。でも東北時代と違ってやっぱり身近なものじゃないためか機会はどんどん減ってきている。雪の量が違うのでシーズンは長いはずだけど、車を持っていないことやら、気になる旅先にすぐに行けてしまうからやら、理由はいくつか。山も山とて、ほとんどが樹林帯に覆われてしまっている、これもちょっと魅力が薄れるポイントのひとつ。やっぱり稜線歩きの存在感!

 


それでもやっぱり転勤族として、近くにあるものには立ち寄っておきたい。

 


さて、今回は女人禁制の文化残る山上ヶ岳に登ってきたはなし。

現地現物にふれずにその是非を考えるのは浅はかと、奥駈道が世界遺産になったころから感じてきたこと。

 


端的に言えば、年中ずっと、山全体を禁制にする必然性はないというのが私の意識です。

 


たとえば山の修行の場とか宿坊は、結界で良いかもしれない。(女性は日帰り登山や日中の通過に限るという意味、まま、そうすると別に避難小屋とか整備する必要はあるでしょうが)

あるいは、特定の祭祀のタイミングでは男だけの空間を確保して文化を残すのも重要かもしれない。

 


ただ、稜線上が文化遺産になっていくなかで、男女の差異を見直す基調のなかで、四六時中の結界はやっぱり錯誤と考えます。長年の信仰と議論の積み重ねで残っているということなのであれば、私は撤廃側につく。

 

 

 

ハレの日、非日常は必要。

でも、ここは常に祭祀の場ではない。

久高島や沖ノ島みたいに、一部の聖職者的位置の人だけが立ち入るわけでなく、男性は制限なくみな入れる。もう一方は、ただ性別の違いだけで邪念の対象として終始排除する、至らしめているのは当方の感覚からという。

 


勉強不足と言われるかもしれないが、申し訳ない、どんな勉強をすれば信仰・文化だからと維持する結果になるのかたどり着けない。時代が変われば有様も変わる。記録として残すことは重要として、現状は合わせていかないと。日本人、そういうカスタマイズは得意だと思うんだけどな。

 

 

 

 


***

 


前夜にレンタカーを借りて、早朝下道でのんびりと(まいどケチっているだけだが)奈良の山方面へ向かう。天川方面への道もだいぶ覚えてきた。

洞川温泉をすぎて、一番おくの駐車場まで。

いざ登山の準備をとみていると、案外女性の姿も多い。少し上流の遥拝所までとか、稲村が岳に登るとか、目的はあってきているわけで、その結界でどうこうという意味合いはなさそう。地元の伝統で守られている、とはいえやっぱり本当に、結界という存在は違和感伴わずには。

 

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そんなこれまでの山とは異なる雰囲気の中、登り始める。

その門も、写真撮りつつ、謂れの看板読みつつ、とりあえず通過。

 


その先、道は普通なれど、やっぱり他の山とは違う。

 


ほら貝は月山でも聞こえてた、白装束の一団もいた。

でもすれ違いで「ようお参り」とは言い合わないし、何十人で登山ってうーん。

 


この挨拶は最後までしっくりこず、慣れず。

 

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道自体は急傾斜にならないよう適度にまき道なってて、息絶え絶えになりながらのぼるほどではない。むしろかなり歩きやすい。

所々、登山道自体を覆う休憩小屋が設けられていて、大型バスで登拝に来た団体はそこで休み休み。

信仰ではなくレジャーとしてのこちらが「異端」で馴染まない存在なのかなとは感じつつ、でも、少なくともルート上は歩きやすい普通の山なんだよなあ、特に稜線に出るまで。

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